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チャレンジカップ2000
大会出場報告書

ワールドブルームボールチャンピオンシップ

大会日程 2000.10.30〜11.4
開催場所 カナダ BC州 ビクトリア市

出場チーム 対戦表 試合風景



チャレンジカップ2000出場にあたって

日本ブルームボール協会
会 長    久 保  元

 向寒の候、貴職におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。日頃より当協会の活動に対して深いご理解とご協力を賜り、衷心より感謝申し上げます。

  さて、当協会では'91年の第1回大会より選手を派遣し、今回で4回目のチャレンジカップ参戦となりました。振り返れば第1回大会('91 カナダ)、第2回大会('96 カナダ)ともに1勝も出来ず、'98年のイタリア大会においてようやく待望の初勝利を挙げることが出来、日本のブルームボールの成長を感じました。今大会ではメンズカテゴリーに雄武町単独チーム、ミックスにおいては、チャレンジカップ参戦2〜3回目の経験者を中心に、東京・佐呂間・雄武協会合同編成のAチームと、協会設立間もない北見協会中心のBチームの3チーム、総勢48名の選手団を派遣いたしました。

  メンズカテゴリーは今回の大会からボディコンタクトが認められ、身体と身体をぶつけ合い、時には乱闘も生じるなどの激しい戦いを繰り広げる中、雄武協会のメンズチームは良く健闘し、文字通り身をもって世界のレベルの高さを感じ取ることが出来ました。

  ミックスにおいてはチャレンジカップ参戦経験者が半数を占めたAチームは、予選ブロックリーグにおいて2勝を挙げ、チャレンジカップトーナメント進出を決めました。過去3回の大会では日本チームは全て予選ブロック敗退でしたので、日本ブルームボール界始まって以来の快挙となりました。決勝トーナメントでは惜しくも敗れましたが4位入賞し、ゴールキーパーがベストメンバーに選ばれるなど、世界的にも評価された大会となりました。

  次回2002年のアメリカ・ミネソタ大会につなげたいと考えております。

  協会設立1年目という若い北見協会中心のBチームは、少ない人数の中でディフェンスに徹し、勝利こそ挙げられなかったものの、強豪チームと引き分けるなど、今後の成長に期待をもたせてくれる結果を残してくれました。コーチとして鴨下北見協会長もベンチ入りし伊藤副会長が今後のためのビデオ撮りをするなど、協会挙げてのサポート体制も特筆すべきことです。

  また、表彰式では思いがけなく故関口正文全日本協会長の名を冠した『関口メモリアル杯』の初めての贈呈を受け、本競技普及にご尽力されその意志半ばにしてお亡くなりになられた前協会長の思いを引き継ぐこととなり、世界協会長よりの贈呈に気持ちを新たに致しました。

 大会開催地のカナダBC州ビクトリア市は北海道と同じ北方圏ですので、スポーツや生活様式などは似ているところも多々ありました。しかし、アイスアリーナやカーリングホールといったものが日本の野球場以上に多数あり、冬であってもスポーツの楽しみ、喜びと言ったものが、しっかりと生活に根ざしていると感じました。ブルームボールの発展普及のみならず、社会資本の一つとしても、また、克寒・克雪、冬を楽しくと言う観点からも網走管内にもアイスアリーナを、という気持ちを強く致しました。

 最後になりましたが、今大会の出場にあたり、ご尽力をいただいた雄武町、北見市ならびに各事業所、『オホーツク21世紀を考える会』のご協力、ご支援、ご指導に心より感謝申し上げます。関係各位の今後のご健勝とご発展を祈念し、お礼の言葉とさせていただきます。 ありがとうございました。




大会を終えて

 今大会には日本協会からメンズカテゴリーに1チーム、ミックスカテゴリーに2チームを派遣しました。以下、大会概要です。

<メンズカテゴリー>
 2000年2月にジャパンカップ北見大会で3連覇を果たしたタコス(雄武協会)が中心となり、雄武協会のみで編成したチームです。本来、大会の規約では選手登録は16名以上とされており、当初16名以上の選手登録がされていたのですが、仕事上の都合などにより10名の選手登録しか出来ませんでした。結果的には、やはり人数の不足が試合の結果に直接響きました。

  開米選手をチームリーダーとするチームは走力や体格、体力的には決してカナダ、アメリカチームに負けてはいません。しかし、基本的な技術の違いや練習不足、また、はじめてのコンタクトルールという大きなハンディを背負い、頼みの綱であるスピードも人数不足から徐々に落ち、3日間6試合という過酷な大会を乗り切ることが出来ませんでした。しかしながら、世界の一流プレイヤーと直接対戦できたことは彼らにとって非常に大きな財産になったことと思います。

 今後日本でも、メンズ・レディスはコンタクトルールが採用されていくと思いますが、彼らが先駆者となり、ブルームボールの新しい世紀を開いてくれるものと期待しています。

 優勝したオンタリオ(カナダ)チームは第1回大会から4連覇となりました。ブルームボールが最も盛んなカナダ東部のオンタリオ州、ケベック州がやはり今大会においても優勝争いを演じました。スピードも速く、テクニック、戦略も超一流の選手ばかりで、パワーが頼りのUSAメンズとは一線を画しています。今後もこの2州のスーパーチームが世界のブルームボールを率いていくことになる事は間違いありません。

<ミックス・JAPAN−A>
  東京協会11名、サロマ協会4名、雄武協会3名の計18名と人数的にも男女比もバランスがとれたチームとなりました。チャレンジカップ経験者も半数を占め、3協会合同チームということでそれぞれのプレイスタイルも異なり、対戦する相手としては返ってやりにくいチームに仕上がったように思います。

 基本的にはカナダ人のボブ選手を攻撃の要として、攻撃主体のチームだったように感じます。初戦のJAPAN‐Bに2‐0で勝ち、2試合目のユージーン(USA)に5‐0で快勝し弾みをつけ予選ブロックリーグを突破しました。

 チャレンジカップトーナメントに進むも、惜しくも優勝したエドモントン(カナダ)に1‐8で敗北を喫しました。しかし、過去3回の大会でもっとも上位の4位に入賞することができました。また、GKはベストメンバーに選ばれるなど、世界的な認知も上がったように感じます。

 優勝、準優勝のチームとはかなり力の差があるように見えましたが、3位のオーストラリアチームとの力の差はそうないように思います。合同チームとしての練習を十分積むことが可能であったなら、より上位入賞も可能であったと思います。

<ミックス・JAPAN−B>
  2000年1月に設立されたばかりの北見協会と網走協会のメンバーで構成されたチームです。 週に2回の体育館での練習、月1〜2回のアリーナ(釧路市まで遠征)での練習を積み重ね、基礎体力・技術の向上と、チームの連携に力を注いでカナダ入りを果たしました。当初の予定では男性9名、女性9名+コーチ2名と理想的な人数で練習を重ねていたのですが、メンズチ−ム同様、仕事の都合や怪我等で男性4名が欠け、その上2試合目で男性1名(背骨骨折)女性1名(右膝靭帯損傷)を怪我で欠き、非常に苦しい中での連戦となりました。

 交替要員が極端に少ないので攻撃に転じる機会が少なく、ほとんどディフェンス中心の戦いに終始せざるを得ませんでした。ディフェンス陣は文字通り体を張ってボールを止め、特に対エクリプス(USA)戦では0‐0の引き分けに持ち込み、勝てなかったものの、得失点差によってJAPAN‐Aを上位トーナメントに押しあげることが出来ました。また、下位3チームで戦われた『ノースアメリカンカップ』の初戦で、試合終了5秒前にディフェンスの要、菅野修二選手が同点ゴールを決めるなど、観客席を多いに沸かせました。

 少ない人数の中でそれぞれが自分の役割を果たし、結果としては良い成績を残せなかったものの、初出場のチームとしては満足感の残る大会になったことと思います。

 ミックスカテゴリーにおいては優勝したエドモントンチームの力がずば抜けていました。力溢れるミドルシュートを主体にパワーで押すノー・ブル(USA)チームに対し、細かくパスをつなぎ、ゴール前にボックスを作りその範囲網を徐々に狭めていき、ピンポイントのパスやシュートで適確に得点を挙げる攻撃スタイルは、予選リーグでこそ、3‐2と接戦でしたが、決勝トーナメントでは7‐1と圧勝に終わりました。

<レディス>
  今大会も過去の大会においても日本協会からチームを派遣した事はありません。それどころかまだ、日本ではレディスのカテゴリーを正式に開催したことがありません。

 今回の大会からメンズ同様にコンタクトプレイが認められました。女性同士といってもそのプレイは過激で、時に殴り合いに発展することも少なくありません。

 やはり欧米人と比べるとナチュラルパワーにおいて若干引けを取る日本人プレイヤーにとっては、レディスのトッププレイヤーの動きが非常に参考になると感じました。メンズでは展開が早すぎ、また、パワーやテクニックも比較にならないのですが、比較的小柄な女性のポジショニングやパス、シュートといったものは、馴染みやすくわかりやすく感じました。レディスのゲームを参考にしなければならないというのも少々恥ずかしい話ですが、アウトドアリンクで年間一ヶ月程度のシーズンしかない日本の現状を考えるとその程度の様に思います。

今回の大会では当然、反省点、改善点が多々あるのですが、
  ・ JAPAN‐Aの4位入賞。(過去最高位)
  ・ ほぼ単独チームでのメンズ出場。
  ・ JAPAN‐Bの健闘。
  ・ JAPAN‐AのGKのベストメンバー選出。
  ・ 連続出場を認められての『関口杯』の久保日本ブルームボール協会長の受賞。
等、収穫も沢山ありました。
次回のアメリカ・ミネソタ大会(2002年)につなげたいと考えます。

<文責・日本ブルームボール協会事務局長 細坂賢一>